私は、若い時に理系をちょっと学んだので、退職後は苦手な文系に挑戦しようと背伸びして、ちょっと気張りました。古典文学は私にとって日本語とは思えず、まるで外国語のように感じ、3周遅れのマラソンランナーのように、皆さんの後を必死について行った。
アカデミーにお世話になる時、シニアの勉強法は、ただインプットするだけでは、いわゆるお勉強であり、お勉強はいくらやってもきりがないから、「インプット+アウトプット」にしようと思い、アウトプットすることを重視した。アカデミーにお世話になって11年、好きな歴史道楽の研究で小論文(のつもり)が4つ、と自分史が“未完成の完成品”ながら、できあがった。コロナの自粛生活で自由時間が増えて、仕上がりを速めてくれた。
拙い文章は、イタバシ流3ル主義:ビジュアル、カラフル、シンプルの3ルに配慮した。
アルバムの写真などは、眺めているだけでいろんなことを雄弁に語って言葉不足を補ってくれるから、ありがたい。“未完成の完成品”でも、自分史が出来上がった時の達成感は、強烈にしびれ、感動した。自分で作った文章は読む度に必ずいじりたくなるので、スマホに落とし込んで時々ながめている。
シニアのいいおもちゃになりました。
アカデミー11年の成果は、私にとって文学が決して「虚学」などではなく、「実学」であるという説を信じられるようになったことかと思い、うれしいですね。これも、アカデミーの先生方に11年お世話になったお陰と、深く感謝しております。
(受講生 板橋功)