授業は演劇に似ている。
私は中学・高校と演劇部だった。と言っても裏方が主で、衣装や大道具を作っていた。ドレスを縫い、大きな背景画を塗り、案内を作成し、チケットをもぎり、私にとって舞台は支えるものだった。キャストとしてスポットライトを浴びることは、人に注目されることを意味する。それは楽しい瞬間だけれど、常に失敗の可能性がつきまとう、怖い時間でもある。支える方が性に合っていた。
そんな私が、2年ほど前から非常勤講師として大学で授業を持たせてもらえるようになった。90分間(共立はなんと100分)、何十人もの学生を前にして一人で話す。演劇でも一人芝居なんてものはなかなかない。はじめの頃は、この時間をなんとかもたせなければという緊張感で常に張りつめており、授業が2コマ終了した後、講師室で気絶していた。それくらい体力も気力も消耗した。
3年目ともなれば、体力に関してはさすがに慣れてきた。なんとかもたせなければという思いもなくなってきた。時間はもつことが(むしろ足りなくなることが)わかってきたからだ。だが、それでも気力は消耗する。言いたいことを伝えられているだろうか、という不安が常にあるからだ。それは学生への講義より、アカデミーの講座で顕著だ。
八王子文芸アカデミーで講座を持つようになって1年経った。はじめの頃は、雨にでも降られたのかというくらい勝手に汗が出た。今はサウナくらいですんでいるが、緊張していることに変わりはない。受講者のみなさんは、私の倍以上の年齢の方も多いのだろう、見守ってくれているな、と思う瞬間が何度もある。ありがたいことだ。
以前、菅野先生から「私は長年授業や講座を持ってますが「今日はよくできた」と思える日は年に1、2回あるかないかです。そのまれな時は必ず聞き手の協力がある時です。向こうをいかにこちらに引き込むか、ですね」と励ましの言葉をいただいたことがある。受講者のみなさんに見守られながら、時に質問をもらったり、笑ってもらったりして、汗は止まらないけれど、よき一人芝居ができるよう頑張り続けようと思う。
(生駒桃子)